『KIN』がバイオパンクである理由。そしてなぜアートブックを選んだのか。
2021.08.03
『KIN』は、東京を拠点とする国際的なクリエイターチーム「ジャングルクロウ・スタジオ」が3000時間以上をかけて創り出したオリジナルSF作品です。 連載第二回目はどのようにして『KIN―マイコシーン』の世界観が生まれたのか、そのプロセスやアイデアをお話ししたいと思います。
どこで?
いつ?
気候変動がもたらす危機
21世紀後半、いったい日本はどうなって……
文明の、新たな終焉
「ワイヤレス感染症」(Wi-Flu), 2059 - 2061
「終焉」の向こうにあるもの:「KIN」ユニバース
▲北東アジア諸島 - 2160年
「KIN」のビハインド・ザ・シーンを語る連載1回目では、ジャングルクロウ・スタジオの最初の作品がバイオパンクである理由、そしてアートブックの可能性をご紹介しました。
2回目となる今回は、どのようにして『KIN―マイコシーン』の世界観が生まれたのか、そのプロセスやアイデアをご案内していこうと思います。
そもそも、世界観の構築、つまりワールドビルディングとは、英語版wikipediaによると「歴史や地理、生態系などが理路整然と構築された世界を思い描き、創造するプロセス」と書かれています。
またそこには「地図や、物語の背景、生えている植物、住んでいる動物、見知らぬ民族やその技術なども含まれる」ともあります。それだけでワクワクし、胸が躍るようです。
2019年の初め、ジャングルクロウ・スタジオのメンバーは『KIN―マイコシーン』の世界観を創るため、昼食時や仕事が終わった後に自分たちの時間を使って議論を重ねました。
お互いのアイデアを持ち寄り、ホワイトボードにメモを張り、色違いのマーカーを手に取って、そこはどんな世界なのかひとつひとつ設定を積み重ねていったのです。
▲世界設定を議論していた様子。ホワイトボードに多数のアイデアが書き込まれている。
それが空想であったとしても、物語には何かしら舞台となる世界が必要です。
多くのSF作品では太陽系を遠く離れた別の星が舞台として選ばれます。しかし『KIN―マイコシーン』のテーマが「生命と人との関り」である以上、地球を舞台とすることは必然です。
ジャングルクロウ・スタジオの拠点は東京ですから、未来の日本を舞台に物語を描いてみようと考えました。
アメリカを舞台にした物語はすでに世にあふれているのですから、なおさらです。
舞台は未来の日本。ではその未来とはいつなのか。私たちが考えたのは、サイバーパンクのさらなる未来でした。
参考としたのは映画『ブレードランナー』や、当時はまだ未発売だったゲーム『サイバーパンク2077』といった作品たちです。
『ブレードランナー』は2019年や2049年が、『サイバーパンク2077』は2077年の地球が舞台となっています。
サイバーパンクの向こう側を描こうというのですから、私たちの世界は少なくとも21世紀末以降とすることにしました。
サイバーパンク社会から地続きで連続したその先で、電脳社会が崩壊する物語を描くという選択肢もありました。
しかし私たちは、時代設定をもう少し遠い未来にすることとしました。あらゆる技術を駆使しても防げなかった大災害。
人類社会が終わりを迎え、地球の生態系が災厄から徐々に回復しはじめた世界を舞台としようと思ったのです。それには、大災害から多少の時間の経過が必要でした。
そこで22世紀半ばという時代を選びました。私たちの時代から離れすぎず、近すぎず。4世代や5世代を経た子孫たちが、内燃機関や火力発電など熱産業文明の遺産にすがりつつ、かろうじて生きている姿を想像できる未来です。
人類の産業活動がもたらす気候変動は、このままでは、地球の姿を見知らぬものへと変えてしまうでしょう。
気温の上昇、それによる海面上昇、自然災害の頻発、生物多様性の減少など、環境破壊が進めば破滅的な未来が訪れることは明らかです。
『オリクスとクレイク』(マーガレット・アトウッド、2003年)、『ねじまき少女』(パオロ・バチガルピ、2009年)、『Autonomous』(アナリー・ニューウィッツ、2017年)など、地球温暖化によって変貌した地球を描いた作品も数多く発表されています。
▲『オリクスとクレイク』(マーガレット・アトウッド、2003年)
そこで私たちは、環境破壊によって何がもたらされるのか、どこまで広く環境が及ぶのかなど、気候変動による影響に注目しました。
例えば温室効果ガスの排出による気温上昇だけを見ても、氷山や永久凍土の融解、温暖化による森林火災の多発、森林の消失による温室効果ガスのさらなる増加などが考えられます。
一度崩れてしまったバランスは次々と連鎖的に災厄を引き起こし、地球の環境はますます不安定になっていきます。それは人間社会にどのような影響を与えるのでしょうか。
カーネギー研究所のレポート(1)では、地球上の化石燃料を燃やし尽くすと、今後1万年の間に海面が60メートルも上昇すると予想されています。
仮に、予期し得えない生態学的反応によって海面上昇が100倍に加速されてしまったとしたら……。
私たちはfloodmap.netのツールを用いて海面の上昇をシミュレートしました。海岸線が変化し、水没していく未来の日本を調べたのです。
シミュレートの結果、その視覚的なインパクトや、よりドラマチックな物語を描くため、最終的に海面が200mも上昇した世界を物語の舞台とすることにしました。
▲海面が200メートル上昇した日本の海岸線。(foodmap.netより)
200メートルも海面が上昇すれば、ご覧の通り、東京や大阪など日本の主要都市は海の下に沈んでしまうでしょう。
この気候変動に直面した未来の日本は、巨大な堤防を海沿いに築き、海面の高まりから都市を守ろうとしているかもしれません。
それでも水没を免れ得ないと分かれば、今度は、都市をまるごと移転してまで、生き延びようとするかもしれません。
都市の移転や急激な再開発には膨大な労働力を必要とします。
彼らを収容するため、人工的で機能性を最優先した集合住宅「団地」(2)が再来、さらに張りぼての新都市には国内外から難民たちが押し寄せ、ますます環境が悪化していくことでしょう。
▲気候変動による海面上昇から都市を防ごうとする巨大な防潮堤や、密集する「団地」が描かれた初期のコンセプトアート。
(アート:クラウス・ピヨン)
このような急激な気候変動は、国家や政治体制を揺るがし、国際的な地政学上の枠組みさえも破壊します。
海面上昇によってさまざまな社会インフラが寸断された未来の日本は、地域ごとに半ば独立したゆるやかな連合国家に移行しているのではないかと考えました。
このような、ひとつひとつの世界設定をチームメンバーで共有しながら、物語やイメージの骨格を作っていきました。私たちが描こうとしているバイオパンクの前史にふさわしい、典型的なサイバーパンク社会を創造していったのです。次は、サイバーパンク社会がどうやって終わりを迎えたのか。物語にとって、最も意味のある「終焉」を考えるだけです。
[…]種がその環境の限界を超えて増えすぎると、食物連鎖が崩れ病気が発生し、増えすぎた種の数を減らすのです。
— ポール・スタメッツ(「Mycelium Running」page 11)
これは、アメリカの菌類学者ポール・スタメッツの言葉です。『スタートレック・ディスカバリー』には、彼の名を借りた宇宙菌類学者が登場します。
スタメッツの著書『Mycelium Running - How Mushrooms Can Help the World』(2005年)は、『KIN―マイコシーン』の世界に起きた破局を考えるにあたって、大きなヒントをくれました。
▲『Mycelium Running - How Mushrooms Can Help the World』(2005年)
洪水、核爆弾、ゾンビ、そして伝染病。これまで、人類を破滅させる大災害は無数に描かれてきました。
『KIN―マイコシーン』の終末には、どのような災厄がふさわしいのか。未来の人類のライフスタイルや、環境が激変してしまうような、バイオパンクにふさわしい大災害とはいったいどうあるべきか。
スタメッツの本からヒントを得た私たちは、大災害のアイデアを探しているなかで興味深い論文に出会いました。
2007年に書かれたその論文には、1991年にチェルノブイリの原子炉内部や周辺で発見された真菌が、放射線を「食べていた」というのです。(3, 4)
電磁スペクトルを食べるキノコ!このアイデアは、チームのメンバーにとってまさに天啓でした。
このアイデアが新しいアイデアを呼び、発想が創造の連鎖反応を引き起こして、2019年4月26日、「KIN」における終末の物語が生まれました。
そして私たちは、この作品のプロジェクト名を「ロッテンプラネット」(腐った星)と名付けたのです。
このアートブックのタイトルが『KIN―マイコシーン』である理由がお分かりいただけたでしょうか。
アントロポシーン、つまり「人間(アントロポス)の時代」の後には、「菌類とキノコ(マイコ)の時代(シーン)」が来るのです。
設定のリアリティを高めるため、様々な資料を調べている中で、菌類が少なくとも2度もこの星を支配していたことを知り、このアイデアに確信をもつことができました。
このアイデアによって、有機的で狂気的な世界を描くことができます。
それは終末を迎える前のサイバーパンク社会、人工的で無機質で硬質なそれとは対照的な世界です。そしてまったくの荒唐無稽な設定ではなく、SFとしてのリアリティをもった舞台となることができました。
菌類は推定510万種が存在すると言われていますが、発見された数はごく一部にすぎません。
地球上の生態系において、植物でもなく、動物でもなく、それ以上の多様性を誇る生物群です。
ポール・スタメッツは、菌類を「地球上の偉大な再生者」「生と死をつなぐ生物」と表現しています。
私たち人類は、6億年以上前、菌類と共通の祖先を持っていました。
そして菌類の最も魅力的な特徴として菌糸があげられます。この菌糸を、スタメッツは「自然界の神経ネットワーク」と呼んでいます。
▲菌糸体(素材提供:Rob Hille, CC-BY-SA)
同じ祖先をもち、地球をネットワークで覆いつくす無数の菌たち。
いつの日か、人に非ざる知性……そうエイリアンとファーストコンタクトする日が来るとしたら……。
それは異星人でもなく、ましてや異次元の存在でもなく、菌類こそが最もあり得る存在なのかもしれません。
多くの人が、宮崎駿監督による『風の谷のナウシカ』と発想が似ていると思うでしょう。
もちろんこのプロジェクトを進めるにあたり、改めて『風の谷のナウシカ』を読み返しました。
そして『風の谷のナウシカ』でもそうであるように、この世界に生きる人々を、物語の中に配置していきました。
パンデミックから逃れた人々が住む場所として、国際水域にある海上の避難施設を考え出しました。
海上都市は決して非現実的なアイデアではなく、ピーター・ティールが支援したシーステディング・インスティテュート(5)のように、実際に建設に向けて検討しているところもあります。
私たちはこれを「ラフト」と名付けました。この施設は独立したバイオテクノロジーの研究施設として機能しており、主人公たちが新しい生態環境を研究したり、脅威から身を隠したり、適応したりする拠点となります。まさにバイオパンクそのものです。
この「ラフト」とそこに生きる人々「ラフター」は、無線通信を失ったサイバーパンク社会の最後の生き残りです。電磁波を餌とする菌を恐れた彼らは、人々と環境をつなぐ象徴として有線通信や有線ネットワークを使っています。
この世界観を「KIN」と名付けた理由が伝わりましたでしょうか。
英語圏の方であれば、「KIN」が家族や親戚を意味することにお気づきだと思います。一方で日本語では、「KIN」には「菌」という意味があり、さらに「キノコ」も意味します。
日本語における「菌」は、菌類、細菌、古細菌などの総称として使われているのです。
日本語と英語、どちらの言語でも「KIN」は作品の重要な題材を意味しているのですから、この世界の名前としてこれ以上ふさわしい言葉はありません。
2年半をかけて作り上げてきたバイオパンクユニバース。そこにこめられた願いや想いが、まさに「KIN」という言葉なのです。
(1) Burning Remaining Fossil Fuel Could Cause 60-Meter Sea Level Rise, Carnegie Science
(4) Radiotrophic Fungus, Wikipedia