『KIN』がバイオパンクである理由。そしてなぜアートブックを選んだのか。
2021.08.03
『KIN―マイコシーン』がどうやって作られたのか。
そのバックストーリーを語るこの連載では、これまで世界観や物語をどのように構築してきたのか。
またコンセプトアートやデザイン設定をどのように詰めてきたのかについてお話してきました。
プリプロダクションも終わり、ここからはいよいよ実際のイラスト制作に取り掛かります。
様々な3Dツールを駆使することで作業を効率化、構図のトライ&エラーを繰り返してより高いクオリティを目指す過程や、世界に彩りと感情を加えるペインティングについてご紹介します。
構図
構図 制作工程1:「Medium」上の作業
構図 制作工程1:「Gravity Sketch」上の作業
構図 制作工程3:「Blender」上の作業
ペインティング
▲イラスト:『KIN―マイコシーン』より
この連載ではこれまで、『KIN―マイコシーン』という作品を作り上げる過程を、順を追ってご紹介してきました。
どうしてアートブックで表現しようとしたのか、その世界観がバイオパンクである理由はなぜか。
どんな世界観が描かれ、どんな物語が語られるべきなのか。
そして環境やキャラクター、プロップをどのようにデザインしたのかなどです。
ここからは、ジャングルクロウ・スタジオが、この本のイラストレーションを実際に制作してきた工程をご紹介します。
優れたイラストというものは、総じて構図が磨きこまれています。
物語を語るために必要な情報が欠けることなく描かれ、しかも見る人に伝わりやすい構成となっているのです。
私たちはプリプロダクションを進める過程で豊富な3Dアセットを制作していました。そのアセットを活かし、構図やレイアウトなどイラストの基本部分を3Dで進めたほうが早いと考えたのです。
VR造形ツールである「Adobe Medium」(1)や「Gravity Sketch」(2)(いずれもオールインワンのVRデバイスである「Oculus」で動作するツールです)、それに「Blender」(3)といったツールを、描きたいものや既存のアセットに合わせて使い分けました。
物語のプロットから描き出すシーンを選んで絵コンテを作り、大まかに3Dで再現。その過程で人や小道具、背景などの配置レイアウトやスケール感を、他の手法よりも比較的自然に精査することができました。
この作業は、行ったり来たりのキャッチボールではなく、しばしば共同作業で取り組みました。
日本とヨーロッパをリモートでつないで画面を共有し、クリエイターが作業しながら、他のチームのメンバーがリアルタイムでコメントやフィードバックを返していくという、文字通りの共同作業です。
以前にも触れましたが、VR造形ツール「Medium」は有機的な形状のモデリングに優れたツールです。対して「Gravity Sketch」は、同じVR造形ツールではありますが人工的、直線的なモデルに適しています。
これは屋外を歩く遠征隊の描いたシーンです。
荒れ果てた一面は謎のキノコや菌類に覆われ、その中に埋もれるようにとうの昔に廃棄された車輛が転がっています。
作業は、ピエール・ラザレヴィクが「Medium」で岩を造形していくところから始まります。
「Medium」の移動ツールは、実際にその世界に入り込んだかのようにカメラの視点を動かすことができます。
見たい角度や構図でモデルを見ながら造形できるため、形状を曲げることもたやすく、より自然で有機的な曲線を仕上げることができました。
「Medium」」のスタンプ機能は、あらかじめモデルとして用意された粘土のようなものです。
私たちは様々な形状のスタンプを使って、VR空間のなかで道路を敷き詰めていきました。そこにヒビや割れを加え、長年の風雪による劣化を表現し、風景を「熟成」させました。
VR空間内には、作業中のモデルだけではなく絵コンテのスケッチも置くことができます。モデリングしながらすぐにスケッチを参照することができます。
「Medium」に最初から付属しているライブラリから、ふさわしいと思える要素を見つけ、シーンに配置していきます。
例えばこの街灯のようにライブラリに収録されていないものは、「Medium」内でモデルを起こし、シーンの中に配置していきました。
『KIN』ユニバースらしいキノコの形状を描くため、オリジナルの造形スタンプも作成しました。
後から全体のサイズ感を調整するときの目安になるよう数人の人物スタンプを配置し、このシーンにおける「Medium」の工程は終了です!
このシーンは、テントの中にいる遠征隊を描いています。
あたかも自分がテーブルに向って腰かけているかのように、カメラの目線の高さをあわせています。カメラからはテント内部を一望できるため、そこかしこで思い思いに活動している遠征隊の様子が映し出されています。
まずは絵コンテにそって全体の位置関係を整理すべく、シンプルなモデルを配置して、遠征隊の機材ボックスやテーブルなどのレイアウトを組んでいきます。
次に「Gravity Sketch」上でマネキンを置き、ポーズを取らせていきます。
人物のマネキンを配置した後、テントそのものの作りこみへと進んでいきます。
ピンと張られた天幕(フライシート)は浮かぶバルーンによって下から支えられており、これは球体モデルを用いて追加しました。
バルーンの中には藻類が詰め込まれ、藻が呼吸で排出する軽気ガスによって宙に浮いて天幕を持ち上げる構造材の役目を果たすほか、光を放ちテント内の照明を兼ねています。
VR空間の中で、カメラをテントの中に潜り込ませ、より近くで見ながらマネキンの演じるキャラクターのポーズを調整していきます。
主人公の一人であるレイン、彼自身の視点から世界を見ることができるのはVRツールの大きなメリットです。
それによって指の一本一本まで細かくディテールを落とし込んでいくことができました。
VRツールを使うメリットは他にもあります。
これは地面を這うケーブルや、遠征隊の隊員たち、様々な小道具など、3Dアセットを加えているところですが、配置したアセットを動かしたり、追加したり削除したりなど、手を加えた結果をすぐにVRツールのカメラでプレビューすることができるのです。
「Medium」で制作した先ほどの屋外のシーンですが、そのデータを「Blender」に取り込み、構図の調整に取り掛かります。
「Medium」上で仮置きしていたキャラクターを、より精細なものに差し替えていきます。
これはプリプロダクションの時に用意したもので、まだまだざっくりとしたものではありますが、仮置きのものよりも細かい部分まで作りこまれています。モブはキャラクター造形に優れる「Daz3D」上で作成しています。
ほとんどの場合、一般的な素体を使えば2D工程で不足はありません。
しかし、主人公などデザインが練りこまれた重要人物や、ミラー・ドッグのような特殊なキャラクターについては、専用のモデルを使ったほうがその後のクオリティが高くなるでしょう。
キャラクターや小道具などを配置し終えた後、カメラの位置やレンズのパラメータ、ライティングなどを調整し、最終的な構図を決めていきます。
レンダリングを終えたこの素材を見ると、絵コンテとの違いがよくわかります。
イラストのモチーフや、環境、背景といった大枠はそのままに、レインがキノコのサンプルを採取している姿や、エルがドローンを飛ばして周囲を偵察している様子など、ストーリーを語る情報が描き加えられています。
時間の制約もあり、2Dツールだけではここまでのトライ&エラーはできなかったでしょう。
3Dツールを活用して無駄を省き、効率的に制作したからこそ、より高いクオリティを目指して議論や調整を重ね、納得のいくところまで創りこむことができたのです。
冷たく無機的な灰色の3Dキャラクターが、ペインティングによって鮮やかに生まれ変わります。
優れたイラストには、何が描かれていて、それが伝わりやすいかどうかが重要だと最初にお話ししました。それに加えて物語に必要な三つ目のポイントである感情が、ペインティングによって描きこまれるのです。
クラウス・ピヨンが手掛けた『KIN―マイコシーン』のペインティングの工程を、実際の素材をもとにご紹介していきましょう。
次の画像は、日本を縦断しようとする旅の途中で、折りたたみ式の小型ボートに荷物を積み込む遠征隊の様子です。
彼らはこれから行く手を遮る湾を渡ろうとしており、そこには海に没してしまった高速道のインターチェンジの姿が見えます。
3Dツールを駆使した前工程でしっかりと構図を決め込んであるため、ペインティングにおいてはスケール感や空気感を気にする必要はありません。
このイラストでは、「Gravity Sketch」で作成した構図の中に、人物の他にも高速道インターチェンジやミラードッグ、運搬カートなどといった要素を配置しています。それらは「Blender」でモデリングしています。
先ほどの素材における高速道インターチェンジを、テクスチャを張り込んだものに差し替え、海面への映り込みも細かくなっています。遠景にもなだらかな山並みが追加されました。
キャラクターには、肌のトーンを探るべく軽いペインティングが施されています。
雲の多かった空を晴天へと描き変え、空の青が海面にも反射しています。遠くに霞む山並みの空気感を描きなおしたほか、高速道インターチェンジには繁茂するキノコを追加しています。
また、仮置きされたマネキンをベースに、前景のキャラクターたちへのペインティングもはじまりました。
天候に合わせ、太陽光による全体の色温度を調整。イラストの遠景と前景、それぞれの光や色のベースが定まりました。
ここからはプリプロダクションのデザインを参考にしながら、キャラクターや装備品などより詳細を描きこんでいきます。
クラウスは遠景へと作業を進めていきます。
このイラストでは、湾に漕ぎ出したボートやキャラクターたちにオーバーペイントが施されているほか、高速道インターチェンジの橋脚の根元に海面に漂う朝もやをつけ足しています。
また、遠征隊の隊員たちが身に着けるサバイバルスーツの上には、最終的なイメージに近づくよう、あたりとなるハイライトを描き入れています。
ここでは、空からの太陽光の反射をやわらげて海面の色を調整し、海の赤味がより見えるよう、コンセプトアートの環境デザインに近づけています。
またキャラクターたちにも手が加わり、頭部を覆うヘルメットについても、透明感やハイライトなど幾つか表現方法を試しています。
次のステップでは、キャラクターたちのポーズを解剖学的にふさわしいものへと調整するなど、細かいディテールを描きこんでいきました。
また、全体的に輝度が少し上がっています。
画面の中央から外側に向かって、キャラクターのディテールやポーズをどんどん調整していきます。
遠征隊の隊員が慎重にボートに積み込もうとしている空調設備など、装備や小道具についても最終クオリティに近くなってきました。
ボートの中にさらに小物を追加し、空いたスペースを埋めていきます。
影色を強めてコントラストを強調することで、重要なものをより目立たせ、情報量が多く雑然としてはいますが、何が描かれているのかわかりやすい表現を心掛けています。
全体がまとまってきたところで、サバイバルスーツのハーネスのように細かい部分の仕上げに取り掛かります。
小物一つであってもアートブックのなかで描写にぶれがないよう、正しく描かれているかどうか、コンセプトアートやデザイン設定を常にチェックしながら進めていきます。
キャラクターやボート、装備類などの前景を完成させたのち、再び環境や背景の描写を進めていきます。
地面を仕上げ、海面に揺れる波や泡などで航跡を描いてボートに動きを加えます。また、イラストの左上部分は、高速道の橋げたに汚れたような描画を加えて明るさも落としました。
これによって見る人の視線が構図の中をさまようことを避け、イラストの主体であるキャラクターたちに意識が集中することを狙っています。
そして完成したイラストがこちらになります。
中景のキャラクターたちを仕上げた後、「Photoshop」の指先ツールで境界線をぼかして周囲となじませ、同じイラストのなかでメリハリを加えました。不要な部分が目立ちすぎないようにするためです。
同じ理由で、プラスチック製のヘルメットの境界線も、光があふれて輪郭がにじむようにブルーム効果が加えられています。
これまでにご紹介したペインティングの工程を、ステップごとの違いがわかるよう短いアニメーションにまとめてみました。
『KIN―マイコシーン』のイラストは、このような過程を経て制作されました。
物語を語る上で、イラストは文章と同じようにとても重要なものであり、欠かすことはできません。
この連載を読んでくれている皆様に、ぜひ紙に印刷され製本されたアートブックをお届けしたいと思っています。
(1) Adobe Medium
(2) Gravity Sketch
(3) Blender
(4) Daz3D